ヒストリー・ハンター 倉橋のぼるのブログ

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敗戦と昭和天皇

第二次大戦で日本が敗れ、連合国の出したポツダム宣言を受諾する際、日本が守りきったのが天皇のご存在とその地位であったことはよく知られている。これにより、日本軍は無条件降伏(武装解除)したが、国家としての日本は条件付きで降伏したことになる。戦後、「無条件降伏」という言葉が意図的に流布され、誰もがそれを疑わなくなってしまった。

 

天皇の地位に関する問題は戦後史の中で大きな意味を持つ。

今回は、連合国の中のイギリスとオーストラリアが天皇についてどう考えていたかを示す資料をご紹介したい。

 

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昭和天皇の処遇に関するイギリス政府の方針

まず、この資料の背景から説明したい。上の資料は1945年8月17日にイギリス政府からオーストラリア政府に宛てて送られた電信である。注目すべきは、これが日本の降伏前の8月12日の電信への返事として書かれたものであるということだ。この当時、オーストラリアは天皇の訴追に向けてかなり積極的に動いていたのだが、イギリスがそれに反対だったことがこの資料からわかる。天皇訴追の考えを「重大な政治的誤り」「最もあさはか」などの強い調子で否定している。

 

イギリスが天皇訴追に反対した理由は、天皇を日本国民をコントロールするための道具として使うことで、連合国のマンパワーやその他のリソースを制限したいという考えのためであった。そして、このような議論は日本の降伏前から始められていたことになる。それは、この電信の下書きを見ればよくわかる。下の資料がそれである。

 

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昭和天皇の処遇に関するイギリス政府の方針 下書き

この下書きは日本が降伏する前の8月13日に書かれたことがわかる。そして、そこには、日本軍の迅速かつ効果的な降伏を確かなものにするために天皇を利用する旨が書かれている。しかし、8月15日に日本が降伏したため、同じロジックを今度は日本国民に適用したのであろう。実際、玉音放送の効果は日本軍と日本国民に絶大な効果があった。イギリスも、したたかに見るべきところはしっかり見ていたのである。