ヒストリー・ハンター 倉橋のぼるのブログ

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「南京大虐殺」? 英領事の報告

今日も「南京大虐殺」への疑問です。

当時南京にいた外国人の報告を見てみるのも、状況を把握する手がかりにはなります。

下の資料は当時のイギリス領事が上海の大使館に宛てた電信の内容です。

 

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南京から英領事の報告

イギリスの領事に日本の当局は協力的であると報告されている。また、自動車を除いて、領事館の建物などは無事であった。

 

この時、あの「大虐殺」が進行中のはずなのだが。全くそんな緊張感はこの資料から伺えない。この資料には続きもあるので、それはまた今度ご紹介したい。

敗戦と昭和天皇

第二次大戦で日本が敗れ、連合国の出したポツダム宣言を受諾する際、日本が守りきったのが天皇のご存在とその地位であったことはよく知られている。これにより、日本軍は無条件降伏(武装解除)したが、国家としての日本は条件付きで降伏したことになる。戦後、「無条件降伏」という言葉が意図的に流布され、誰もがそれを疑わなくなってしまった。

 

天皇の地位に関する問題は戦後史の中で大きな意味を持つ。

今回は、連合国の中のイギリスとオーストラリアが天皇についてどう考えていたかを示す資料をご紹介したい。

 

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昭和天皇の処遇に関するイギリス政府の方針

まず、この資料の背景から説明したい。上の資料は1945年8月17日にイギリス政府からオーストラリア政府に宛てて送られた電信である。注目すべきは、これが日本の降伏前の8月12日の電信への返事として書かれたものであるということだ。この当時、オーストラリアは天皇の訴追に向けてかなり積極的に動いていたのだが、イギリスがそれに反対だったことがこの資料からわかる。天皇訴追の考えを「重大な政治的誤り」「最もあさはか」などの強い調子で否定している。

 

イギリスが天皇訴追に反対した理由は、天皇を日本国民をコントロールするための道具として使うことで、連合国のマンパワーやその他のリソースを制限したいという考えのためであった。そして、このような議論は日本の降伏前から始められていたことになる。それは、この電信の下書きを見ればよくわかる。下の資料がそれである。

 

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昭和天皇の処遇に関するイギリス政府の方針 下書き

この下書きは日本が降伏する前の8月13日に書かれたことがわかる。そして、そこには、日本軍の迅速かつ効果的な降伏を確かなものにするために天皇を利用する旨が書かれている。しかし、8月15日に日本が降伏したため、同じロジックを今度は日本国民に適用したのであろう。実際、玉音放送の効果は日本軍と日本国民に絶大な効果があった。イギリスも、したたかに見るべきところはしっかり見ていたのである。

 

竹島問題 連合国への疑問

歴史問題は現在の現実に大きな影響を及ぼすことがあります。もちろん、ほとんどの場合、歴史の話は「過去」の話であり、現在とは切り離されて考えられるものです。しかし、領土問題となると、その領土の「歴史」が現在の「紛争」に少なからぬ影響を与えることになるのです。

 

日本も第二次世界大戦後、そのような領土問題を抱えるようになりました。一番大きなものは北方領土問題です。そして、竹島問題も日韓の重要案件であります。「尖閣諸島問題」は、はっきり言って領土問題ではありません。歴史的な争点もなく、単なる中国の言いがかりに過ぎません。

 

今回は、竹島に関する資料をご紹介します。竹島は英語で Liancourt Rocks と表記されます。まず、下の資料の中で、その表記を探してみてください。下の文書は連合国による日本政府への指令を記したもので、日本の施政権に残す領土、外す領土を示したものです。

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連合国指令 日本の施政権の範囲

興味深いことに、この資料では、Liancourt Rocks(竹島)が日本の施政権から外される領土に分類されているのです。つまり鬱陵島済州島と同じ扱いになっているのです。

 

これは一体どういうことでしょうか。

なぜ、連合国は当初、竹島をこのような扱いにしたのでしょうか。

 

もちろん、この文書は連合国当局の最終決定を示すものではありません。事実、この後、竹島の主権に関してアメリカ当局は韓国側の言い分を退けることになりますから。

 

しかし、竹島が一旦、日本の施政権から外された影響を考えてみるべきでしょう。これは韓国側に明らかに間違ったメッセージを送ってしまっています。

 

連合国は、竹島の施政権を日本から奪うのであれば、主権の所在を明確にすべきだったのではないでしょうか。そうしなかったから、李承晩が日本の独立の直前に竹島を掠めとるようなまねをしたのではないしょうか。

 

この辺の連合国の意思決定の過程は今後解明していく必要があると思います。

「南京大虐殺」への疑問

現在、「歴史」は政治の「道具」にされています。特に、中国は「歴史戦」などといって、歴史の言論空間でしのぎを削る戦術を取り入れています。これは中国古来の伝統でもあります。中国で歴史書が皇帝の権力のために書かれてきたのは、つまりそういうことです。そういう意味で、中国のいう「歴史」は学問ではありません。

 

 今も中国政府が喧伝する「南京大虐殺」も、まず、そういった政治色を取り除いた後に検証すべきでありましょう。それが学問の役目であります。今日は、そんな検証作業の際には一応挙げておきたい資料をご紹介したいと思います。検証作業では浮かんでくる疑問に答えていかなければなりません。どのような答えが出てくるのかはわかりませんが、それでもどんな答えが出てくるのか楽しみでもあります。

 

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中華民国の声明

この資料はイギリスの公文書館に保管されているものですので、どなたでも見ることができます。ドイツ語と英語の二つがありますが、これは英語のものです。

 

この資料は、中華民国が日本軍の非人道的行為をドイツ政府に訴えている内容なのですが、「南京大虐殺」についてではなく「日本軍による都市への爆撃」についての訴えなのです。そして、その日付は1938年6月1日となっています。これは、南京陥落から約半年後になります。

 

ここで浮かび上がってくる疑問とは、「南京大虐殺」発生から半年も立っているにもかかわらず、日本軍の非人道的行為として「都市への爆撃」を非難する一方、「南京大虐殺」について一切触れていないのは何故か。

 

私はこの答えを知りません。推測はできますが。

読者の皆さんの考える答えをぜひお聞かせください。
 

初めまして

倉橋のぼると申します。普段は歴史の研究をしています。

 

このブログでは研究者というよりは、ヒストリー・ハンターを名乗りたいと思います。なぜなら、ここでは歴史の面白いネタを獲ってきて、それを皆さんと共有したいと考えているからです。

 

ハンターを名乗るからには、体を張ってどんなところにも突っ込んで行こうと思います。歴史は退屈なものではなく、ワクワクするものです。そんなワクワク感を皆さんにも感じていただきたいのです。

 

ぜひ、お付き合いください。

 

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